優秀ではない私のフリーse(システムエンジニア)生活30年

フリーse(システムエンジニア)は特別優秀ではなくてもなれる

フリーse(システムエンジニア)というものは、私みたいなダメダメ社員でも、なることができます。

あなたの周りにもいませんか?

フリーseをやっている、ダメダメ社員が!?

それが、私です。

しかし、私見たいなダメダメ社員でも、50歳を過ぎた今、今まで出向してきた現場から声をかけてもらえるんです。

私が今まで、どのようにしてフリーse人生を続けてきたのか?

新たな築きもありました。

それを踏まえて、こういう時はどうすればいいか?

あまり参考にならないかもしれませんが、参考にしてみてください。

私みたいに気楽にフリーse人生を送るのも、良いと思いますよ!!

私にしてみれば、まさに理想の生き方でした。

過去形のようですが、今でも現場からは声を掛けてもらっていますよ!!

悠々自適なフリーse(システムエンジニア)人生

付属高校から就職を決めた理由

私は、付属高校に所属していた手前、当然のことながらそのまま大学に進学するだろうと思っていました。

ところが、私は在学中殆ど勉強せず、大学への推薦が得られませんでした。

そればかりか、在学中赤点ばかりで、親同伴の呼び出しを何回も受けました。

それで、母親からは「弟のために進学は諦めてくれないか!?」と言われました。

私には4つ下の弟がいるのですが、その弟は物凄く頭が良くて、学校でも1番2番の成績でした。

それで、私は素直に就職をすることに決めたのですが、聞こえの良いコンピュータ会社に就職を決めました。

私の高校では、9割が大学に進学をするのですが、同じクラスに家が貧しく進学できないという人が1人いました。

彼がコンピュータ会社に就職を決めていたので、私も真似をしてコンピュータ会社に決めただけでした。

他に根拠は、ありませんでした。

コンピュータ会社に就職

コンピュータ会社に就職をして、私はプログラマーになるべく教育を受けたのですが、なりたい職業が無かった私は「こんなに楽しい仕事先が世の中にはあったのか!!」と、驚きました。

世の中に出て働くということを考えたことがなかったので、仕事自体どんなものがあるかさえ知らなかったんです。

私は、科目の中で数学は断トツに得意中の得意で、中学校時代から数学だけはいつも90点以上の殆ど完璧な点数でした。

それで、私立の受験は有利だったのですが、自分の中では、第3志望の高校だったので、周りの同級生をバカにしていた帰来がありました。

しかし、実際は私にとってレベルが高い高校だったんです。

なぜかというと、私は数学だけで受験を乗り越えて来ただけだったからです。

そんな私ですが、数学を活かせる職業というものが全く思いつきませんでした。

コンピュータ会社は、偶然数学が活かせる職業だったんです。

なぜなら、私はコンピュータ会社の仕事内容を理解して就職したわけではありませんでしたから。

このようにして、私は偶然、自分に向いている職業に就くことができたんです。

最初の会社を辞めた理由

プログラマーの仕事であるプログラミングは、本当に楽しく、毎日の仕事がそれはそれは楽しみながらすることができました。

しかし、私が就職をした会社は、給料が安くて安くて、2年間務めても、もらえる給料は10万円そこそこでした。

いつまで経っても、一人暮らしができない状態で、親元から通勤するしかありませんでした。

私の中で、一人暮らしができて、初めて一人前という考えがあったので、私はそこの会社を2年間務めて、後にしました。

給料以外を除けば、文句のつけようがない、とても良い会社でした。

女性は美人揃いでした!!

できれば、そこの会社にずっといたかった。

フリーse(システムエンジニア)になる

プログラマーの仕事が自分に向いているということがわかった私は、当然のことながら次の仕事もプログラマーの仕事を続けたいと思いました。

それで、求人雑誌を見ながら、プログラマーの仕事を探しました。

すると、あるページに「プログラマー募集、経験者優遇、月給25万円以上」という募集広告を見つけました。

早速、私はそこの会社に電話をかけ、面接に向いました。

その時、「あなたは幾らの給料を希望しますか?」と訊かれて、「25万円希望します」と、応えたんです。

それが、フリーseの始まりでした。

フリーseの相場を知らないと足元を見られる

しかし、その時私のスキル(経歴)からの相場は、35万円が妥当だということを、現場のフリーseから知らされました。

これが、実際に本人の口から希望額を言わせ、相場を知らないseの足元を見てくる会社の代表的な手口です。

私は、「25万円」と応えた瞬間に、その会社から1年間の契約書を作成されて、1年間月給25万円で働くことになりました。

フリーseの仕事は安い単価に飛びつかない

いきなりフリーseの第一歩で躓いてしまった私ですが、契約期間を全うすると、何も問題がなければ同じ現場から当然次回の契約の更新のお話が、契約先の会社経由で来ます。

その時、私の場合既に業界の相場というものがわかっていたので、一揆に45万円の希望額を申告したところ、あっさりと通ってしまいました。

何と一揆に20万円も契約金額がアップしたんです。

毎年10万円のペースで、アップして行き、上限の60万円になるまで上がり続けました。

業界のフリーse派遣ベースでの相場金額は、60万円ということを自分のフリーse経験から認識することができました。

しかし、この金額というものは、色々なケースで上下するということがわかりました。

例えば、世の中が不景気になり、どこの企業も予算を抑え目にした時、大元から出される金額も抑え気味の金額に推移します。

しかし、やらなければいけないことは決まっているので、安い金額で募集をかけます。

大元が安い金額で募集をすると、その後の2次受け、3次受けの会社自体の金額も、当然のことながら安くなるんです。

最初の頃、私は仕事に穴をあけることが、不安だったので、すぐに来るもの拒まずで仕事に飛びついていました。

でも、大した事が無い不景気というのは、すぐに収束をするんです。

安い仕事に飛びついた数日後に、相場よりも良い条件の仕事の話しが来たりして、安い仕事に飛びつかなければ良かったと、後悔するようなことが度々ありました。

30代までは仕事も余るほど

30代は、黙っていても次から次へと仕事の案件は続くものです。

フリーseを何年もやっていると、現場で遭遇する別の会社の人が営業担当者を紹介してきます。

たまたま営業の人が、現場に訪れているタイミングが多いですが、私がフリーseとして現場で仕事をしているということから、声を掛けてくれます。

「次回は、是非ともうちの会社から」ということで、声を掛けてくれるんです。

向こうから声を掛けてもらえれば、締めたものです。

私の場合、すぎさま現在の状況をお話し、「それよりも多く出して頂けるのでしたら、是非とも協力させてください」と、単価交渉を臭わせます。

それで、単価アップが見込めるようでしたら、仕事が切れるタイミングで連絡をさせていただいて、期待通りの金額なら仕事を受けるようにしてきました。

このようにして、私は営業窓口を増やしてきました。

単価の安い仕事はお断りをして、1ケ月、2ヶ月、間が空いても構わないというスタンスで、フリーseを続けてきました。

40歳を越えると仕事が激減

私は、1つの現場で何年も仕事をするのが苦手です。

飽きてしまうというか、2年を越えると行きたくなくなってしまうんです。

そのようなことがあって、1つの現場では2年が限度として、現場を転々としてきました。

しかし、中には「もう1年だけ手を貸してくれ」と言われて、1年だけ余分に仕事をした現場がいくつかありました。

だから、私は有識者になったことが殆どありません。

有識者にならないために、現場を変えてきたのかもしれません。

それで、2年ごとに現場を変えてきたのですが、次の仕事が決まるまで1ケ月間のリフレッシュ休暇を取るようにしてきました。

リフレッシュ休暇が、何よりの楽しみでした。

そのようなことを2年間毎繰り返してきた私は、スキル的には優秀では無いとみなされてしまうんです。

正真正銘、優秀ではないので、仕方が無いと言えば仕方がないと思います。

その影響で、次の仕事が40歳を過ぎた辺りから、大分少なくなってきたんです。

と、思っていました。

ところが、私の仕事が減ってきたのは、年齢によるものということがわかりました。

そのことは、新たな現場で契約先の会社の社長さんから訊いたんです。

確かにその後は、仕事の合間に1ケ月のリフレッシュ休暇も、1ケ月まともに取ることができなくなり、単価の良い話が出て来た段階で、リフレッシュ休暇を打ちきるようになりました。

しかし、それでも、正社員ではできないような長期休暇を自由自在に取ることが出来、自分的には物凄く充実しているフリーse人生を送ることができました。


1ケ月間のリフレッシュ休暇を取ることにより、安い仕事には一切手を出さず、単価の良い仕事だけやってくることができました。

リフレッシュ休暇中は、仕事をしていないので、その間の収入はありませんが、それでも十分過ぎる金額は稼ぐことができました。

リーマンショック

リーマンショックの時は、本当に次の仕事が決まりませんでした。

世の中一斉に不景気となり、世の中から仕事という仕事が一斉に姿を消しました。

忘れもしない、2008年9月です。

あの頃は、確か京品ホテル(けいひんホテル)が経営不振でドタバタ騒いでいましたよね。

私もあの頃、仕事が丁度切れてしまったんです。

当時は、同じ会社のグループ内の仕事を行ったりきたりしていて、次の仕事も決まっていたはずだったんです。

でも、私だけ次の仕事の営業を忘れたとかで、いきなり仕事が無くなってしまいました。

しかし、内心ではリフレッシュ休暇が取れるということが、自分の中では嬉しくて仕方ありませんでした。

ところが、その後どこからもまともな仕事の話しが来ることもなく、3ヶ月が過ぎました。

1度物凄く安い40万円という仕事の面接に行ったことがありました。

その時は、40万円の仕事に100人近くが押し寄せて、如何にリーマンショックで世の中の仕事が激減しているという、象徴のような現象には驚かされました。

当時の私は、30近い営業窓口を持っていましたが、それらすべてを駆使しても、一切仕事の案件情報は回ってきませんでした。

ギークスジョブに登録

3ヶ月以上仕事が決まらない状態が続き、「ダメ元で登録をしてみれば!?」と友人から勧められたのが「ギークスジョブ」でした。

当時は、未だ「エンジニアナビ」と言っていました。

私は当時、ネットのフリーseの案件情報紹介サイトなど、バカにしていました。

「私が長年培ってきた、30もの営業窓口を駆使しても来なかった仕事が、そうそう簡単に紹介されるはずがない!!」と思っていたんです。

ところがです!!

いざ、「ギークスジョブ」に会員登録をしたところ、何と1週間も経たずに仕事の情報がメールで送られてきたんです。

40万円の仕事に飛びつきそうになっていた頃、65万円の仕事が!!

早速、現場に面接に行き、適性があったので、即決しました。

こんなことがあったので、その後は「ギークスジョブ」さまさまと一揆に見方が代わりました。

だから、その後は「ギークスジョブ」オンリーで仕事を続けてきたし、人に勧める時も「『ギークスジョブ』で個別説明会を受けてみれば!?」と言う感じです。

貯めた資金で事業を開業

私は、フリーseで、プロパーの人よりも余分にもらえた分、すべて銀行に貯金をしてきました。

プロパーの人と一緒に行動をしてくれば、丸々給料の半分は楽に貯金ができてしまうんです。

確定申告で払う税金も、人にもよりますが、みんなが思っている程高額ではないんですよ。

それで、気が付いたらフリーse人生が30年を越えていました。

そろそろ現場も引退と思い、今は奥さんと2人3脚で、事業を始めました。

もう、1年以上が経ち、もう少しでその収入だけでも食べて行けるような状態になってきました。

目標は、年内には完全に新たな事業の方の収入で食べて行くことができるまでになることです。

しかし、未だにseの現場からは「手を貸してくれないか!?」という打診があり、このままずっと断り続けることができるだろうかと、心配しています。

私的には、もう現場には出たくないのですが、このような私でも未だに声をかけてくれる仲間たちの存在は、とても有難いと思います。

私の場合、特にうまみが無い派遣ベースでの仕事ばかりでしたが、派遣でも十分に仕事は続けることができるんです。

私みたいな、特別に優秀ではない人材でも。

フリーseは、退職金こそありませんが、今まで貯めて来た事業資金を元手に、いつまでも好き勝手に稼ぐことができる、自分自身の事業を始めることができるんですよ。

この事業を安定させれば、これで私は一生食いっ逸れる心配はなくなります。